「実家を売りたいのに、親が認知症になって契約できない」
「入院中の親の土地の処分を急いでいるのに、どこからも動けない」
空き家アドバイザーとして、こうした切実な相談を増えて受けるようになっています。
病気や認知症で判断能力を失った親の不動産は、子どもが勝手に売ることはできません。
たとえ唯一の子どもであっても、所有者本人の意思確認ができない以上、不動産の売買契約は結べません。
この事態を避けるために有効な手段として知られているのが、成年後見人制度と家族信託の2つです。
今回は、この2つの制度の違いを正直に比較しながら、「なぜ元気なうちに家族信託を活用しておくことがおすすめなのか」を、実際の事例を交えてお伝えします。

なぜ「判断能力を失ってから」では手遅れになるのか
まず、問題の根本から整理しましょう。
日本の法律では、判断能力(意思能力)がない状態で行われた契約は無効とされます。
認知症が進行して判断能力が失われた方の不動産は、たとえご家族であっても、本人の代わりに勝手に売却・賃貸・担保設定などの処分ができません。
銀行口座も同様です。
金融機関側が「認知症の疑いがある」と判断すれば、口座が凍結され、預金の引き出しができなくなるケースが増えています。
介護費用の支払いや施設入居時の費用捻出でさえ、自由に動かせない状況になりうるのです。
2025年の国内の認知症患者数は約500万人とも言われ、65歳以上の高齢者では約6〜7人に1人が発症すると言われています。
「まだうちの親は大丈夫」という判断が、後々大きな後悔につながりかねません。

「成年後見人制度」とは何か
成年後見人制度とは、認知症などにより判断能力を失った後、成年後見人という代理人が本人に代わり、財産管理や契約などの法律行為を行う仕組みです。
制度には2種類あります。
法定後見制度
すでに判断能力が低下した人に関して家庭裁判所に申立を行い、家庭裁判所が選任した人物が本人に代わり、財産の管理や法的契約の代行などができるようになる制度です。
任意後見制度
本人の判断能力がある間に、あらかじめ後見人になる人を選んで公正証書で契約しておく制度です。
ただし、どちらを選んでも、成年後見制度には以下のような制約があります。
被後見人が居住する不動産を売却したくても、成年後見人は勝手に売買契約を締結できません。
被後見人の居住用不動産の売却には家庭裁判所の許可が必要となり、「どうしても不動産を売却しなければならない理由」がなければ許可は下りません。
また、相続税対策としての生前贈与や不動産の売却などは認められないケースが多く、家族信託に比べて運用管理の自由度が少ない点も理解しておく必要があります。
さらに、成年後見人制度の場合、後見人へ毎月数万円ほどの報酬が発生します。
認知症の発症から死亡まで長期化した場合、コストがかかり続けます。
アルツハイマー病は発症してから平均8年間で死亡するデータもあるので、仮に月額3万円の報酬がかかるとすると合計288万円もの金額になってしまいます。

「家族信託」とは何か
家族信託は「財産管理を任意の範囲で委ねられる契約」です。
財産を持つ本人(委託者)が、信頼できる家族(受託者)に財産の管理・運用・処分を任せる仕組みで、家族で契約内容を自由に決めることができる柔軟な制度です。
重要なのは、家族信託は本人に判断能力があるうちにしか契約できないという点です。
本人が認知症になり判断能力を失ってからでは、家族信託の契約を結べなくなってしまいます。
家族信託の特徴として、家族信託では、本人が信頼できる人(多くの場合は家族)を受託者として選び、契約で定めた範囲内で自由度の高い財産管理を任せることができます。
例えば、不動産の売却や新規購入、積極的な資産運用なども、契約内容次第で可能となります。
また、家族信託であれば契約を開始するタイミングも自由に設定可能です。
契約だけをあらかじめ結んでおき、財産管理が難しくなってきたタイミングで子どもに財産の管理や運用、処分を任せるといったことも行えます。
家族信託 vs 成年後見人制度 徹底比較
| 比較項目 |
家族信託 |
成年後見人制度 |
| 利用できるタイミング |
本人の判断能力がある間のみ |
判断能力が低下した後も可(法定後見) |
| 手続きの場 |
家族間の契約(裁判所不要) |
家庭裁判所への申立が必要 |
| 受託者・後見人の選任 |
家族が自由に選べる |
裁判所が決定(家族の希望は通らないことも) |
| 不動産の売却 |
信託契約の範囲内で自由 |
居住用は裁判所の許可が必要 |
| 相続・生前対策 |
可能(契約内容に組み込める) |
原則として不可 |
| 身上監護(介護・医療の手続き) |
対応不可 |
対応可能 |
| 費用 |
初期費用50〜100万円程度、ランニングコストなし |
初期費用のほか、後見人報酬が月2〜6万円継続 |
| 柔軟性 |
非常に高い |
法律・裁判所の範囲内に限られる |
【事例】家族信託を活用した不動産処分のケース
具体的な事例で、家族信託の有効性をイメージしていただきましょう。
状況
新潟市在住のAさん(70代・父)は、アルツハイマー型認知症の初期段階と診断されました。
市内に自宅のほか、相続した土地(空き家)を所有しており、将来の施設入居費用に充てるために土地を売却したいと考えていました。
長男B(40代)が実家近くに住んでおり、財産管理を担うことになりました。
家族信託を選んだ理由
- 認知症の進行前に、まだ本人の意思確認ができるタイミングだった
- 土地の売却を「自由に進めたい」という家族の強い意向があった
- 成年後見制度では土地売却に裁判所の許可が必要になり、時間がかかることが懸念された
- 長男Bが後見人に選任されない可能性もあり、見知らぬ専門家に財産管理を任せることに家族が抵抗感を持っていた
結果
父Aさんが認知症が軽度な段階のうちに、司法書士の支援のもとで家族信託契約を締結。長男Bが受託者となり、土地の管理・処分権限を取得しました。
その後、父Aさんの判断能力が低下した後も、長男Bが信託契約に基づいて土地を適正価格で売却し、得た資金で父の施設入居費用を支払うことができました。
もし家族信託を結ばずにいたら、認知症が進行した段階で法定後見の申立を行い、裁判所が選任した後見人の管理のもとで土地売却のたびに裁判所の許可を取得するという複雑な手続きが必要になっていたケースです。

成年後見人制度が向いているケース
家族信託は非常に有効な制度ですが、成年後見人制度の方が向いているケースもあります。
- すでに認知症が進行して判断能力が低下しており、今から家族信託の契約が結べない場合
- 介護・医療に関する手続き(身上監護)も含めてすべて代行してもらいたい場合
- 家族の中に財産を任せられる信頼できる人物がいない場合
- 財産を守ることを最優先にしたい場合(裁判所の監督があることで安心感がある)
物忘れが増え、契約や手続きの内容を理解・判断するのが難しくなってきた段階では、成年後見の活用が現実的です。
家族信託を新たに結ぶには本人のはっきりした意思が必要ですが、その前提が揺らいでいると、契約自体ができないかもしれません。
この場合は、後見で「今必要な保護」を先に整えるのが近道です。

家族信託の費用と手続きの流れ
家族信託は、専門家への相談料や公正証書の作成費用、登録免許税などで50〜100万円程度の初期費用はかかるものの、ランニングコストは基本的にかかりません。
手続きの流れとしては、おおよそ以下の通りです。
- 家族内での話し合い・信託内容の決定
- 司法書士・弁護士・行政書士などの専門家への相談(必須)
- 信託契約書の作成・公正証書化
- 信託財産の登記(不動産が含まれる場合)
- 信託口座の開設
特に信託契約書の内容設計は、後からの変更が難しいため、専門家のサポートのもとで慎重に進めることが重要です。

まとめ
家族信託と成年後見人制度の違いについて、覚えておいてほしいポイントを整理します。
- 認知症・病気で判断能力を失った後は、不動産の売却・管理が家族でも勝手にできなくなる
- 成年後見人制度は「判断能力が低下した後」でも使えるが、不動産処分に裁判所の許可が必要で、毎月の後見人報酬がかかり続ける
- 家族信託は「本人の判断能力があるうち」にしか結べないが、不動産の処分を家族の裁量で自由に進められ、ランニングコストも抑えられる
- 「まだ元気なうち」こそが、家族信託を検討する最良のタイミング
- すでに認知症が進行している場合は、成年後見人制度(法定後見)しか選択肢がない
「まだ大丈夫」と思ったときこそ、動いてください。親が元気に話し合える時間は、想像より短いかもしれません。
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